
日本の最も古い神話によると太古の昔から太陽の神として日本を照らし導いたのは「アマテラス」という女性の神様でした。太陽神が女性であるというのは世界の神話の中でもとても珍しいことです。
日本独自の文化は縄文時代から始まったと言われています。諸説はありますが、縄文時代は今から約15000年前から始まり、紀元前1000年くらいまで1万年以上も続いたと言われています。
縄文時代の発掘品からは武器は見つかっていません。つまり当時の日本人は争いのないとても平和な暮らしをおくっていたことになります。縄文時代の女性たちは、極彩色の文様を施した布地でつくった衣服をまとい、たくさんの装飾品を付けて生活していました。首飾り、耳飾り、腕輪など種類も多く、カラフルで彫刻も施されていました。そうした装飾品は男性たちが作っていたと言われています。その当時、男性の装飾品は腰飾りだけだったことを考えると、女性は非常に大切にされていたということが伺えます。
その当時に作られたと思われる女性をかたちどった土偶もたくさんみつかっています。それらは「祈り」の儀式で使われていたようです。女性は神や自然とつながるスピリチュアルな存在として崇められ、祈りの象徴でした。
3世紀初頭には、卑弥呼という女王が登場します。卑弥呼もやはり国家の安泰を祈り、神や自然との対話から得たメッセージに従い国を治めていました。
太古の昔から8世紀前半まで、女性は神秘的な存在として崇拝され畏敬の念を抱かれていたということです。

4世紀頃から中国の儒教道徳の影響を受けて、日本にも「男尊女卑」の考え方が広まっていきます。中世の戦乱の時代を経て、権力統治による封建時代に至ります。武士道が確立されていったその時代は「男の時代」でした。
女性の立場は低くなり、男性に従属するものと考えられるようになりました。そうした中で、 12世紀の終わりに巫女として寺社に仕え、神仏に歌と踊りを捧げる白拍子が登場します。その歌と舞は後に日本の伝統文化となる能や歌舞伎に発展していきます。彼女たちの歌や踊りは天皇や貴族、武士を魅了して彼らの愛人とな ることもありました。しかしそうした行為は周囲からさげすまれることはなく、神や仏と通じる神聖な能力の持ち主として彼女たちの立場は守られていました。 白拍子の中には家を失った高貴な血筋を引くものも多くいました。その装束は狩衣に高烏帽子、太刀を佩びることもあり、いわば男装の少女でした。

徳川将軍家が国家統一を果たし戦国時代が終わり、江戸時代が始まります。江戸時代は17世の初めから武家政治が終わる19世紀の半ばまで続きます。戦乱のない平和な時代が訪れ、江戸時代には町人文化が花開きました。
白拍子は専ら芸能に従事する芸者と、高級遊女である太夫または花魁に分かれていきました。太夫は京都での呼び名で、花魁は江戸(東京)での呼び名です。
外国人からは芸者や花魁は男性のためのエンターテイナーという幻想を抱かれたり偏見をもたれることがあります。しかし、当時の芸者や花魁たちは家族の生活を支えるためや、さらわれてきたために身を売らざるを得なかったという事情がありました。彼女たちは借金を返すまでは郭を出ることはできませんでした。
花魁になるためには類まれな美貌だけでなく、高い教養と芸術に対する造詣の深さも要求されました。
花魁たちは華やかなファッションを競い合いました。庶民たちからはファッションリーダーとしてもてはやされ、「粋」という言葉を体現するアイドル的 存在でした。「粋」とは、江戸時代の庶民の美的、道徳的理念です。もとの意味は「心意気」「こころもち」といった意味になり、洗練された人の話しぶり、身 のこなし、あるいは身なりなどをさします。品よく色っぽさを見せることを知っている女性を描写するときによく用いられました。「粋」な女性は、意気盛ん で、その振る舞いには男勝りのところがあり、好きな男のためなら自らを犠牲にすることも辞さない潔さがありました。一方、その振る舞いは諦めを示すことで もあり、悲しみと孤独をあえて受け入れる姿勢でもありました。花魁も華やかでありながらも郭から出ることの出来ない悲しみを背負っていたからです。
最高ランクの花魁は最上級クラスの武士だけを顧客として受け入れました。彼らとの会話は政治経済に関わるトップシークレットでした。そのような事情 も重なって、花魁たちは外の世界との接触を禁じられていました。また顧客との叶わぬ恋に落ちることもあり、愛する人と暮らすことのできない悲しみを抱えて 生きていました。閉ざされた世界で生きなければならなかった彼女たちは苦界から解放されることを祈り続けました。阿弥陀仏信仰が盛んで非常に信心深かったと言われています。
武家政治による江戸時代が終わり、日本は産業化を促進し、戦争を体験します。女性は愛する夫や子供たちを奪われる悲しみの中で、大切な人々の命が救われることを祈り続けました。戦争が終わることで日本女性は再び男性と対等の立場を取り戻すことができました。

縄文時代の昔から日本女性は祈りを司る神聖な存在として崇拝と畏敬の念をもって崇められていました。その時代はとても平和だったと言われています。彼女達の祈りは時には国を動かすような大きな力をもつこともありました。また、「祈りの歌や舞」、「祈りに支えられた生き方」は日本文化の礎を築きました。
日本の歴史の中で女性が男性の影として生きることを余儀なくされた戦争・戦乱の時代はおよそ1500年くらいです。これは約15000年という長い日本の歴史の中ではほんの10分の1の期間でしかありません。しかしその間には、悲しみの中で幸せを祈る女性達のたくさんの涙が流されました。
愛する人達と共に生き、幸せになりたいという祈りは、日本女性だけのものではなく世界中の女性の願いでもあるでしょう。男性・女性の区別なく誰もが自由に、そして輝いて生きることができるようになるためには平和な世の中が実現されなければなりません。この平和への祈りを捧げながらこのショーを締めくくりたいと思います。
日本の仏教の発祥の地のひとつである京都の山寺には1200年前から灯され続けている「不滅の灯火」があります。オリンピックの聖火は世界の人々の心を繋ぐ平和の象徴です。1200年もの間、数々の戦乱を体験しながらも絶やされることのなかった山寺の灯火は、僧侶たちの祈りの象徴です。オリンピック 聖火のように人々に平和への希望を与えてくれているような気がします。私たちの祈りを「不滅の灯火」の歌に託します。
歌「Forever Temple Light(不滅の灯火)」
出典:
「英語で話す日本の心」1996年 講談社インターナショナル
縄文時代 wikipedia : ja.wikipedia.org/wiki/
Copyright:Naoya Yamaguchi & Kumiko Kajitani
